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養老孟司さんの涼しい脳味噌の148ページに、紫野大徳寺を草創ありし時にときに、宗仏なる土の下より手も足も口も目もなくして、むぐめく者でたり。人皆怪しむ。開山これを宗仏と名付け法堂のしたにうづみて、当山の守となれとて、その日をもって末代までも供養するを宗仏忌と云となってますが、モグラぢゃあないんですかね?もしくはツチノコ?